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福島県伊達市梁川町八幡字堂庭

震災前取材

この八幡神社は、平安中期、田原中納言勝稙が山城国岩清水八幡宮を勧請し創建し、その後藤原秀衡が、信夫の庄司の佐藤基治に命じ再建し三重の塔を建てた。

文治5年(1189)、奥州征伐に功を上げた伊達家初代朝宗がこの地に下向し高子岡城を築いた際に、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を勧請し亀岡八幡宮と号した。その後伊達氏の本拠とともに福島、桑折と移ったが、元亀2年(1571)に旧地に遷宮し現在にいたる。

天正7年(1579)、伊達政宗は田村氏の愛姫と婚姻を結ぶことになり、伊達家の遠藤基信はこの地まで出向き、花嫁を迎え米沢の政宗のもとまで護衛したと云う。

また天正10年(1582)、16歳の伊達政宗は、父の輝宗とともに梁川八幡に初陣の祈願を行い、伊達家累代の悲願であった仙道制覇を祈願した。祈願を終えた政宗は、相馬氏攻略のため、阿武隈川を下り金津へと兵を進めた。

現在の本殿は、延享2年(1745)に改築されたもので、江戸時代中期の優れた神社建築である。