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福島県大玉村大山字愛宕

2011/04/06取材

 

この地の傾城壇古墳は、全長41m、後円部直径27mの前方後円墳で、県内の前方後円墳の中では小さいほうのグループに入る。しかしこの古墳は、調査の結果、出土した土器から、古墳時代初期の四世紀後半に築かれたことがわかっている。これは、中通りでは最古級の古墳で、中通り地方に登場した、最初の王権の墓であるとも思われる。

福島県は、早い時期から中央からの進出があり、古墳も多くあるが、浜通りと郡山地域は前方後方墳が多く、会津地方は前方後円墳がほとんどで、異なる勢力による築造と考えられる。

この地の古墳の多くは前方後円墳であるが、直径2kmの狭い範囲にまとまって存在し、二子塚古墳の築造は六世紀で、四世紀から六世紀まで、この地方の王権は継続されたと考えられる。これは県内他地域には見られない特異な現象で、この地域の古代史を考える上で注目される。