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福島県会津若松市神指字中四合

 

神指城跡の土塁上に如来堂が建っており、斎藤一ら会津に残った新撰組隊士がこの地に駐屯し本陣を構えた。

西軍が城下に迫った時、仙台へ向かおうとする土方らと意見が対立し、「会津あっての新選組。会津を見捨てることはできない」として隊士十数人と会津に残った。

慶応4年(1868)9月4日、この地は新政府軍の奇襲を受け、斎藤ら数名を除き、隊は全滅した。
斎藤一は生き残り、その後会津藩士らと行動をともにし青森県斗南に移り苦渋をともにし、大正時代まで生き抜いた。