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福島県会津若松市追手町…会津若松城本丸内

 

天正19年(1591)、千利休が豊臣秀吉の逆鱗に触れ自刃させられた。このとき、利休の子の少庵は、蒲生氏郷を頼り会津へ逃れた。蒲生氏郷は茶の道にも優れ、利休七哲の一人であった。文禄元年(1592)秀吉の赦免状が出るまで少庵を匿い、少庵は翌文禄2年(1593年)に京へ帰った。この麟閣は、蒲生氏郷によりこの頃に建てられたものと思われる。

麟閣は、明治まで若松城本丸内に建っていたが、戊辰戦争後に若松城が取り壊される際に、薬種商を営み茶人でもあった森川宗久が私邸に移築した。1ヶ月の籠城戦のあった若松城本丸内にあったこともあり、傷みがひどく、そのまま使える部材はほとんどなかったといわれているが、修復に際しては、形状や寸法は全く変えなかったと云う。

平成2年(1990)に再度、若松城本丸内に移築され、現在は福島県指定重要文化財に指定されている。