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福島県郡山市湖南町中野和尚塚

震災前取材

 

昔、この地は中地村といい、この地を流れる中地川は毎年のように氾濫する暴れ川で、村人たちは大変苦しんでいた。

ある年、いつにも増して大雨が続き、中地村は村ごと今にも流されそうになった。困り果てた村人たちは、「水神様の怒りを鎮めるためには、もう人柱しかない…」と言い合っていたが、もちろん人柱に名乗り出る者はいなかった。

このような時、見知らぬ旅の坊さんが通りかかり、村人たちのこの話を聞き、「私が人柱になろう」と申し出、朗々と経文を唱え、濁流の中に身を沈めた。すると、川はみるみる流れを変え、村は濁流から救われた。

村人たちは、この旅の坊さんに感謝し、この地に供養の坦を築き、「和尚壇」と呼ぶようになったと云う。