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福島県会津若松市大町一丁目

 

稽古堂は、会津藩主加藤明成に取り立てられた儒学者で、後に保科正之に仕えた横田三友(俊益)によってつくられた学問所。寛文4年(1664)に、民間の人々の協力によって建てられ、堂主として学僧岡田如黙が迎えられた。稽古堂は、当時、武士、庶民の身分に関係なく学ぶことができた。

稽古堂は、会津における最初の学問所であり、庶民と武士の教育を目的とした学校としては、全国の中で最も早い時期につくられた学問所。

その後、会津松平家三代藩主正容(まさかた)が、藩士教育のために新たに学問所をつくり、(1799)には、藩校日新館となった。稽古堂は、この甲賀町に移され、名称も町講所と改められ、主に庶民の教育を目的とした場所に変わっていった。