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福島県会津若松市大町二丁目

 

慶応4年(1868)、会津戦争において会津藩の凄惨は極まったが、西軍にもまた多くの犠牲者が出た。この戦いには、西軍には十藩余が出兵し、その中で会津に散った150柱が、郷里より遠く離れたこの地で眠っている。

土佐藩49人、薩摩藩33人、長州藩24人、大垣藩20人、
肥州藩11人、備州藩 6人、岡山藩 3人、館林藩 2人、
越前藩 1人、藩籍不明1人

明治2年(1869)、現在の墓石が建てられ、官修墓地として、県の招魂社が管理をしていたが、太平洋戦争後は、官修墓地の制度もなくなったため、著しく荒廃した。これを憂いたそれぞれの将兵の故郷の方々が寄付を募り昭和32年(1957)、墓地を改修し篤く敬弔の誠を表した。