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福島県会津若松市花春町…御薬園内
御茶屋御殿は、御薬園内に、会津松平藩主の別邸として建築されたもの。御薬園は、二代藩主保科正経が薬草園を作り、三代松平正容が、小堀遠州の流れをくんだ本格的な大名型山水庭園に大改造したものである。
御茶屋御殿は、木造茅葺平屋で、庭園池を望む部屋には、幅一間ほどの内廊下が付いている。上の間、次の間、扣の間からなり、古材を使った素朴なつくりである。主として藩主の書院として使われたと思われる。
会津松平藩最後の藩主の松平容保は、慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いの後、会津に帰国したが 城には入らず、この御茶屋御殿で蟄居した。しかし西軍の会津追討の意思は強行で、同年8月23日、西軍は会津城下になだれこみ、会津藩は篭城し戦ったが、9月23日ついに降伏した。
この間、御茶屋御殿は、西軍の傷病者の診療所とされたため戦火を免れた。御殿内には、これらの傷病兵がつけたと思われる刀傷が今も残る。
昭和7年(1932)、御茶屋御殿は、御薬園ともども徳川時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定された。