福島県大熊町熊字滑津

 

佐山館は、東南端が熊川に接する、比高20mほどの台地上に築かれていた。台地は東西に長く、北、南、東側は急斜面で囲まれ、西側には空堀が設けられている。

南側の斜面を上ると、現在は畑と社員寮のある平場があり、平場の西側は土塁と空堀で守られた大きな郭跡があり居館跡と思われる。東側にも空堀があり、さらに虎口が設けられ、台地先端部が主郭と考えられる。

この館の築城時期、地区城主などは不明であるが、南北朝期から戦国期にかけては、この地は標葉氏が支配しており、標葉氏一族や家臣の居館だったと思われる。標葉氏は南朝方であったようだが、その後は北朝方に転じたようだ。

戦国時代には、福島県浜通りの大勢力は岩城氏と相馬氏がおり、その狭間で標葉氏は岩城氏や相馬氏らと抗争、同盟を繰り返しながら、「標葉六騎七人衆」とよばれる勢力を保っていた。しかし明応元年(1492)、標葉隆成は相馬盛胤によって滅ぼされ、標葉氏一族は、泉田氏、熊川氏、藤橋氏を称して相馬氏の一門となった。

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