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秋田県鹿角市十和田大湯宮野平

2013/06/10取材

 

黒又山は、大湯環状列石遺構の北側に位置する独立峰である。標高280m、美しい円錐形の山は、大湯環状列石との関わりも考えられており神秘につつまれた山である。

人工的に積み上げた山ではないが、人の手で階段状に削り取り形が整えられた形跡があり、山霊を仰ぎ多くの人々の信仰を深め、祭儀を行なった山と考えられている。

地元の人々は昔からこの山を、クロマンタ山、又はクルマンタ山と読んでいた。この地は蝦夷の地であったことから、これを蝦夷の言葉に当てはめると、
「クル」とは神、又は普通でない人間の事。
「マクタ」とは野の事(マンタはマクタの転訛と思われる)。
「キシタ」とは山の事。
「クルマクタキシタ」すなわち神野山となり、これがクロマンタと呼ばれるようになったと思われる。

古代の遺跡ストーンサークルをはじめとして、多くの神仏が祀られている野原に立つ山、そして深い神秘の中に多くの信仰を集めた山だったと考えられている。

十世紀末頃、この地は安倍貞任の支配下にあった。安倍一門の中に、本宮徳次郎という医者がいた。本宮は、安倍の従者として蝦夷地に移ってきた者だったが、薬草の生い繁るこの地に安住の場所を求めた。その時、安倍の守り神である清水観音、八幡大菩薩、帝釈天を背負ってきたとされる。

徳次郎は、安倍の守り本尊である帝釈天を庚神としてこの地に祀り、これより巽の方角に八幡大菩薩を、丑寅の方角に清水観音をまつったと云う。更に自ら庚神を守りながら、医者の守り神である薬師如来を一心に信仰し、四方はるか遠くからでもお参りできるよう、この黒又山頂に薬師堂を建立した。

徳次郎は、多くの病人を薬草をもって救い、本宮家は数代にわたって栄えたといわれ、この地一帯に深く信仰を集め、薬師さんとして親しまれてきた。

明治の廃仏毀釈により、「本宮神社」と称するようになった。