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秋田県大館市八幡

震災前取材

 

佐竹氏一族である大館城の初代城主小場義成は、関ヶ原の戦いの後、佐竹氏宗家が西軍寄りの行動をとったことから、常陸から秋田へ減移封され、それに従った。その後 、仙北、檜山などを経て、慶長15年(1610)大館城主として大館に入った。

義成は、入城と同時に、大館城の城域に常陸太田八幡宮の神霊を祀り大館城の守護神とした。その後小場氏は佐竹の姓を受け、四代城主 佐竹義武が貞享4年(1687)、大館城と大館の鎮守総社として、八幡二社を建立した。このときの本殿が、現存する正八幡宮と若宮八幡宮の二社である。

正八幡宮は岩清水八幡宮、若宮八幡宮は鶴岡八幡宮の神霊をそれぞれ勧請したもので、これは佐竹氏の常陸時代以来の祀り方だとされる。二社とも桃山文化の特徴を持ち、細部にわたり彫刻が施され、彩色なども時代を表す華麗なものである。

その後の戊辰戦争や、大火も逃れ、保存状態も良く、本殿は国の重要文化財に指定され、現在は鉄筋コンクリートの鞘堂に納められている。