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秋田県小坂町上向字藤原

2011/10/02取材

 

七滝は、落差約60mで、水は七段にわたり落ち、各段とも6~10mほどの落差がある、江戸時代の紀行家の菅江真澄は、十和田湖への途中立ち寄り、2首の短歌とスケッチ を「十曲湖(とわだのうみ)」に載せている。

春はさぞ おちも寄りなん いやたかき 花の藤原 はなのたきなみ
生ひしげる 山のふぢはら いはがねに まつはりかかる 滝の白糸

 

この七滝には次のような伝説が伝えられる。

昔、七滝には不思議な力があると恐れられ、物を投げ入れることは禁じられていた。この滝は、水量が豊かで、流れる水はしぶきを放ち、七つの段を渡る女神のまぼろしのようであり、朝には陽の光で赤く光り、夕には山を映し、神秘的な山鳴りを四方にどどろかせていた。

この頃、この地の高清水という里に昆(こん)孫左衛門という大地主がいた。彼は傲岸不遜な人間で、自分の土地の広さをいつも自慢していた。その孫左衛門が、あるとき林から薪を切り出し、村人から恐れられ物を投げることが禁じられていた七滝に、七十余棚の薪を上から一度に投げ入れた。

一段、二段、三段と、ごうごうと鳴る滝を薪が落下する様は、孫左衛門にとっては、自分の力の盛んなことを見るようで心地よかった。ところが、四段目の鍋倉という滝つぼに薪が落ちると同時に、天地を揺るがす大鳴動がおこり、滝つぼからはうめき声が響き、七十余棚の薪は一本も水面に浮かび上がってこなかった。ただ滝のすざましい音が山にこだまし、その中に不気味な声が響き渡るだけだった。

深さも定かではない滝つぼは、黒い雲に包まれ、これを見た孫左衛門の顔は真っ青になった。いまさらながら滝つぼの不思議さに震えあがった。薪が一本も浮き上がらないことが信じられず、ただ事ではないこの様子を見て、後悔の思いで頭がいっぱいになった。体の中の血が凍りつくような思いで、ふらふら家に帰ると、そのまま病にかかり寝込むようになってしまった。

この滝は実は大蛇の化身で、病気に伏している孫左衛門の夢枕には、8間ほどもある巨大な大蛇が現れた。その体は傷だらけで、生々しく血が流れ、「我の体の傷を見るがいい。我が神通力でお前を滅ぼしてやる」と恐ろしい形相でにらんだ。孫左衛門は、ただ伏してわびたが、大蛇は煙となり松林に雲がわきおこり見えなくなった。

孫左衛門は、自分の罪深さに気付き一心に思い詰めたすえに、七滝に不動神社を建てることにした。すでにこれまでの思い上がりの心はすでにすっかり消えていた。

七滝の横の孫左衛門が建てた神社は、今も不動様と呼ばれ信仰を集めている。堂内にはこの話を物語るように、鉄の蛇の「とぐろ様」が祀られていると云う。