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宮城県大崎市三本木坂本字館山…天性寺

 

大崎市三本木の天性寺の境内に、節婦辰女の碑と廟があり、その脇には土井晩翠の歌と碑文がある。

仙台五代藩主伊達吉村の時期に、この三本木の坂本に、鈴木八五郎という侍が住んでいた。夫婦の間に三人の娘がおり、長女辰は八太夫という婿養子を貰い、夫婦仲も良く一女をもうけた。しかし、婿の八太夫は、人が忌嫌う悪病に罹り、舅の八五郎はこれを嫌いこの婿を何とか追出そうと離縁を迫った。しかし辰は、一旦夫婦となり子までもうけた以上、今更離縁とは女の道が立たないと承知しなかった。父の八五郎も娘の言い分には返す言葉もなかった。

しかし、父の八五郎はあきらめず、謀を企てた。ある夜ひそかに、隣家の与右衛門宅に忍び込み、米1俵を盗み出し、故意に米粒を八太夫の家の戸口までこぼし、知らぬふりをしていた。翌朝、与右衛門は泥棒の入ったことに驚き訴え出た。八五郎は、その泥棒は我が婿だと評定所に訴えた。

評定所からは八太夫だけではなく、妻辰も呼び出された。辰はこれが父の企みとわかったが、真実を告げれば父を刑にかけることになり、偽りを言えば、夫を無実の罪に落とすことになると遂に進退窮まり、2歳の娘を背負って鳴瀬川に身を投じた。

しかし辰は、この様子を見ていた往来の人々に助け上げられたが、家に帰ると、村役人が辰を呼びに来ていた。辰は役人に暫く待ってほしいと頼み、奥座敷に入って行った。暫くしても姿を見せないので、不審に思った役人が襖を開けると、辰は懐刀で幼女を刺し、書置き1通を残して自らも喉をかき切って自害していた。

後に調べの結果、事件の真実が明白となり、五代藩主伊達吉村は深く辰の孝心にうたれ、菩提寺の天性寺に寺領を与え、末代までの供養を命じたと云う。

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