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宮城県仙台市青葉区川内

伊達政宗騎馬像は、昭和10年(1935)、伊達政宗没後三百年祭を記念し、宮城県連合青年団が寄付を呼びかけ、宮城県柴田町出身の彫刻家小室達氏が制作し建立された。

しかし、太平洋戦争末期に軍に徴用され溶融されたと思われていたが、騎馬部分のみ溶解され、終戦後上半身は塩釜市内で郷土史家の石川氏により発見された。石川氏はこの政宗の上半身を私費で青葉神社に奉納し、その後仙台城三の丸後に移された。

騎馬像のあった仙台城址には、昭和29年(1954)、柳原義達氏が製作し、小野田セメントが材料を無償で提供し、平服姿の伊達政宗立像が建てられた。この立像は、仙台城址に騎馬像が建てられることになり、昭和37年(1962)岩出山城址に移設された。

戦前の騎馬像に対しては、仙台市民の思い入れは強いものがあり、作者の小室氏の柴田町の家に原型が保存されていたことから、昭和37年(1962)、もとの形で像が復元され台座にその雄姿が戻った。

伊達政宗は、幼少の頃に片目を失い独眼龍と異名をとったが、「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」とし、像はすべて両眼をという政宗の言から、この政宗像には両目が入れられている。