宮城県白石市斎川字馬牛

 

この湖畔は、坂上田村麻呂の乗馬が沼に落ちて死んだことから馬入沼ともいい、また、沼の中の孤州が、馬に似ているため馬形沼と、さらに馬首牛身の魚獣が泳ぎまわっていたので、馬牛沼と呼ばれたとの伝承がある。

この沼は、明治30年頃から養鯉場になり、晩秋には名物の「沼乾し」の行事で賑わい、湖中には鯉供養碑がたっている。

伊達藩が、徳川とことを構えた場合、最初にこの地で迎え撃つという作戦が練られていたと言う。
奥州街道は、この沼の南岸から、西側を回り込むように通り、鐙摺坂に続いていたと言う。

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