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宮城県大衡村大衡字針

震災前取材

嘉祥2年(849)、慈覚大師が奥州巡錫の折、当時の波利(針)の里には悪病がはびこり多くの人々が苦しんでいた。これを見かねた慈覚大師は、錫杖を留めて薬師瑠璃光如来の像を刻んで安置し、この地に波利山妙法寺を開き祈祷した。この祈祷により悪病は去り、人々は、安心して暮らすことができたと伝えられる。しかし、その後妙法寺は火災に遭い廃寺となった。

その後再建されたが、 大正14年(1925)、再び火災に遭い、堂宇すべてが焼失した。しかし、本尊如来は、信徒が身を挺して猛火の中からを救い出し、焼失を免れ、昭和6年(1931)、現在の堂が復元された。

この薬師堂には、古くからの寺宝として木のお面が伝えられている。この面は悪疫、特にボーカミ(腸チフス)病除けの守護であると言われている。この面を病人の枕元に置いて祈念すれば、すぐに病気が治ると信じられていた。また、家で祈願した後、このお面を薬師如来堂に返す途中、背中に背負った面が暴れる場合は「不治の病」、暴れない時は「すぐに治癒する」と伝えられている。