宮城県松島町松島

 

観月楼は瑞巌寺総門の東側に位置する三階館の建物で、現在は土産物を商っている。

明治26(1893)年7月、正岡子規は26歳の時に、松尾芭蕉の200回忌の年に松島を訪れた。松島ではこの観月楼に宿泊し、瑞巌寺、雄島、五大堂と芭蕉の足跡を辿り、この観月楼で念願の松島の月を見ている。子規はこの4年前に喀血して倒れており、この旅は病臥の身を押し、死を覚悟しての旅であった。「はて知らずの記」はこの紀行を句文で著した作品で、同年新聞『日本』に連載された。

「はて知らずの記」より

旅亭に帰り欄干に凭りて見る。嶋いくつ松の木の生ひぬもなければ月さし上りて金波銀波に浮き出づる嶋々いづれか小蓬莱ならざらんと夜景先づ俤に立ちて独り更のたくるをのみ待つ。空は陰雲閉ぢて雨を催さんけしきなるに一夕立の過ぎなば中々に晴るゝ事もあらんかと空だのみして

「夕立の 虹こしらへよ 千松嶋」
闇は先づ遠き嶋山より隠してやうやう夜に入る。

「 灯ちらちら 人影涼し 五大堂」
今や月出づらんと眼を見張るもをかしく、

「 松嶋の 闇を見て居る すゞみかな」
小舟二艘許り赤き提灯をともしつらねて小歌を歌ひ月琴を弾きなどしつゝ そここゝと漕ぎまはるはかれも月を待つなるべし。

「ともし火の 嶋かくれ行く 涼み船」
うれしや海の面ほのかに照りて雲の隙に月の影こそ現れんとすなれ。

「 波の音の 闇もあやなし 大海原」
月いづるかたに嶋見えわたる

「すゞしさの ほのめく闇や 千松島」
一句二句うなり出だす間もなく月は再び隠れて此あたりの雲の中とばかりそれだに覚束なし。あはれこよひ一夜こそ松嶋の月を見んと来しものを、

「 心なき 月は知らじな 松嶋に こよひはかりの 旅寝なりとも」
観月といふ楼の名を力に夢魂いづこにや迷ふらん。

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