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宮城県松島町松島…雄島

震災前取材

 

見仏堂は、見仏上人が法華経六万巻を読誦した場所とされるところで、そのお堂は妙覚庵とも呼ばれた。かつては「奥の院」と呼ばれたが、今は礎石すら残っていない。

見仏上人は「月まつしまの聖」「空の聖」などとも呼ばれ、法華経六万巻を読誦して法力を身に付け、鬼神を使い、奇蹟を起こしたと伝えられる。西行仮託の仏教説話集「撰集抄」には、「遠距離空間の瞬間移動」ともとれる上人の超能力ぶりが語られている。

それによると、

西行が能登を尋ねると、月の内10日は能登の岩屋に住まい、20日は松島に住んでいると言う。西行が能登をあとにするとき、見仏上人は既に能登にいなく、松島を訪ねるとそこに見仏上人はいた。松島に2ヶ月ほど滞在していたが、上弦の月の10日間は、一瞬のうちに姿を消 し不在になる。きっと能登の岩屋に行ったのだとしみじみと感じた。弟子が寺をさばいていたが、毎月同じようなことなので、いまさら驚きもしていないようだった。

この見仏上人の名声は鎌倉にまで聞こえることとなり、頼朝が没した翌年、正治2年(1200)のころ、北条政子が、頼朝が生前に信仰していた仏舎利をおさめた水晶五輪塔といっしょに、上人のもとに手紙を送り、夫の後世を訪ねるべく依頼をしたと伝えられている。