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宮城県多賀城市大代5丁目

震災前取材

 

柏木遺跡は、多賀城跡南東約4kmに位置する丘陵上に立地している。この地は、背後に森林を持つ丘陵地にありながら、海岸に近く、砂鉄を搬入するのに最適な場所であったと考えられる。

遺構は丘陵の自然地形を利用して造られている。調査の結果、製錬炉4基、木炭窯6基、竪穴住居跡4棟(うち3棟は鍛冶工房跡)、土壙3基、特殊遺構3基が発見された。これらの遺構は、自然の地形を巧みに利用して造成、構築されており、最奥部の高位置に製錬炉、傾斜部に木炭窯、中央の広場に工房が配置されてる。これらの遺構の年代は、出土遺物の特徴から8世紀前半と考えられる。

この時代の製鉄は、原料の採集から生産まで大量の労働力と技術集団なくしては成立せず、これらを掌握して運営していくためには、国家的な力が不可欠であると考えられる。柏木遺跡の製錬炉が操業していた年代は、まさに多賀城が、陸奥国の律令支配の強化と陸奥・出羽以北の蝦夷(えみし)に対する政策を推し進めるために創建された時代であり、多賀城直営の製鉄所がこの柏木遺跡であったと考えられる。