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宮城県多賀城市東田中二丁目

震災前取材

むかし、多賀城に陸奥の国府があったころ、道路を新しく建設するため多勢の人が集められ働いていた。ところが、工事が終わりに近いころ、それを阻むように巨大な石が出てきた。この石を取り除かないと道路ができないので、太い綱を何本もかけ皆で力を合わせて引っぱったが石はビクとも動かなかった。いろいろ試してみても石はやっぱりビクとも動かな い。

そんなある日、ある娘の枕もとに見知らぬ人が現れ、「紫色の着物を着て、紫色のたすきをかけ、あの大石にまたがれば、石は動くだろう」と告げた。そこでその娘は翌日、工事の場に行き、私に任せてほしいと言った。

始めは誰も相手にしなかったが、娘は何度も同じように頼むので、とうとう根負けし、それなら座興がわりにやらせてみようということになった。娘は、紫色の紐で襷をかけ、きりりと身支度を整え、采配を握るとヒラリと巨石のうえに飛びのった。 そして、采配を振って合図をしたら力いっぱい綱を引いてくれと言う。

娘は一声高く掛声をかけると同時に力いっぱい采配を振り、男達が力いっぱい綱を引っ張った。するといままでビクともしなかった巨石がムックリ動き、次の瞬間には娘を乗せたまま宙を飛んで行った。石は、はるか東の東田中村にふたつに割れて落ち、土中にめりこんだ。そして、乗っていた娘も石になってしまった。

人々は、石が落下した田圃の傍にある丘に巨石と娘の霊をまつる観音堂を建て、この石はやがて千引石、観音様は千引観音(いまは、志引石、志引観音)と呼ばれるようになったという。また、志引観音の別当の家では、今でも紫色のものは一切使わないという。