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宮城県多賀城市南宮字色の地

震災前取材

 

南宮社は田圃のなかに小ぢんまりと鎮座している。この神社は地元では「色の御前様」と呼ばれ、この地を「色の地」と呼んでいる。

その縁起によると、室町時代の応仁のころ、多賀城を大津浪が襲来し、八幡にあった若佐姫命を祀る神社の社殿が激流に押し流され南宮に漂着し、それを南宮社に祀ったという。

この「色の御前」とは女神である若佐姫命のことで、次のような話が伝えられる。

若佐姫命は、隣村山王の山王社の神に懸想され、逃げるときに芋の葉を踏んで滑り、茶の木で目を突き、麻畑に身を隠し、さらに黒川郡吉田村(現大和町)の枡沢まで逃れ、臼の中に隠れて難を避けることができた。

それで南宮では芋、茶、麻を植えず、山王にはヒナダメッコ(すがめ)のものが多く、吉田枡沢にある枡沢様(船形山神社)には咎めがあるので参詣するものがないという。

また、次のような話も伝えられる。

明治の終わり頃、南宮社は他の小社とともに、村社総社宮に合祀された。ところが、それからまもなくして、南宮にたびたび災いが起きた。そのため祈祷したところ、色の御前が現れ、「合祀された総社宮は男の神ばかりで、とても気苦労が多く住みづらい。もとの南宮が懐かしく戻ってきたが、お宮は跡形もなく片付けられてしまい、冷たい雨が降っても、寒い北風が吹いても避けるところもなく、ただ木の枝にじっと止まっている有様でとてもつらい」と言う。

これを聞いた人々はびっくりし、他の村人とも相談し、前よりは粗末だが真心のこもった社殿を建て、「色の御前」のお祭りを行ったという。