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宮城県石巻市桃生町太田字拾貫壱番

震災前取材

日高見神社の創建は古く、景行天皇40年(110)、日本武尊東夷征伐のおり上総国より海路陸奥に入り、日高見国に至りこの地の賊を平定し、日本武尊の偉業を崇敬して祀られたと伝えられる。また一説には日本武尊がこの地に斎場を設け、天津神を祀ったとも伝えられるが、日高見川(北上川)の川神を祭った蝦夷の原始信仰に由来するとも伝えられる。竹内宿禰の奏言により、日高見の国名をとって社号とした。

奈良時代になって、蝦夷討伐の拠点として桃生城が構築されると、日高見神社はその守護神として崇められた。「続日本記」によれば、「宝亀11年(780)、百済王俊哲らが賊に囲まれ、桃生、白河の郡神11の社に祈る」とある。

康平年間(1058~69)、源義家が安倍貞任討伐の折に、社殿を造営し祭田を寄進した。しかしその後、永正8年(1511)の山内首藤氏と葛西氏の永正合戦の折、兵火に罹り焼失した。

その後社殿は、宝永年間(1704~10)に再建され、現在の社殿は昭和45年(1970)に改築されたもの