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宮城県気仙沼市本吉町津谷舘岡

震災前取材

別名:獅子ヶ館

この城は南西側の西郡街道に対して構えられたと思われ、大きさは東西250m、南北200m、高さ40mほどの輪郭式山城である。

本吉庁舎の北側の舘岡公園を含む高台一帯が、津谷館跡である。頂部に、東西に長い楕円形の平場がありここに招魂碑があるが、ここが本郭の中心だったと思われる。北側から西側にかけて深い空堀が残り、断崖になっている。東側は奥山に続いており、外壕と内壕の二重の空堀で切られ、完全に独立している形となっていたと云う。また腰郭を何段にも廻らし、峰仙寺を含む区域が城域であった。

南北朝時代、葛西氏の家臣薄衣内匠亮清村が米倉氏を名乗り、嘉暦元年(1326)、津谷村に移り、その後二男の米倉玄蕃持村が津谷、平磯、岩尻三村を所領、応安5年(1372)にこの地を居館とした。以来天正18年(1590)葛西氏滅亡まで二百数十年に亘り、米倉一族はこの地を居館としてこの地に権勢を振るった。