岩手県平泉町平泉字祇園

2012/09/07取材

 

平泉の南方に位置し、北上川の河岸段丘の最も低い地に位置している。東に束稲山を望み、西に太田川をうけ、広く南方に展開する田園と集落の中に鎮座している。

長治元年(1104)頃の創建とされ、奥州藤原氏初代の藤原清衡が、中尊寺の造営に着手する頃にあたる。 当時、疫病退散の神として、京の都においてとくに信仰のあつかった祇園社を、この地に勧請して遷座されたものである。当時、平泉の五方鎮守の神として、中央に惣社を、東に日吉白山、南にこの祇園社(平泉八坂神社)、王子諸社、西に北野天神金峯山、北に今熊野稲荷などの社をまつったとされる。

しかし奥州藤原氏は、鎌倉の源頼朝に攻められ滅亡し、さらに嘉禄2年(1226)に毛越寺が、建武4年(1337)には中尊寺が、それぞれ火災のために消失し、平泉八坂神社も諸社とともに衰退した。

 

その後、南北朝時代に、修験の僧都良珍が荒れた祇園社の再興をはかり、疫病退散の祈祷場として人々の尊崇を得たと伝えられている。江戸時代までを祇園宮と称していたが、神仏分離令により明治8年(1875)、八坂神社と改称し村社となった。