岩手県田野畑村明戸海岸
2017/03/12取材
平成23年(2011)3月11日14時46分に起きた、マグニチュード9.0の東日本大震災で、この田野畑村は震度4にとどまった。しかしこの地震が引き起こした大津波による被害は甚大だった。
田野畑村の沿岸部には、15 時25 分頃、津波の第1波が押し寄せた。最大津波の溯上高は 25.5mだった。村域にある、三陸鉄道北リアス線の島越駅は、高さ約10mの鉄筋コンクリート製橋梁の上に設けられた高架駅だったが、津波は易々とこれを呑み込み、駅舎、プラットホーム、線路が全て流失し、橋脚の一部の残骸を残すのみとなった。
明治三陸大津波で打ち上げられたと言い伝えられる羅賀地区の「津波石」にも、津波が再び到達した。岩が動くことはなかったが、羅賀の住宅約150棟のほぼ半数が全壊し、地区住民約450人のうち9人が行方不明となった。
この明戸の海岸では、海水は数百メートル沖まで引き、海底が露になり、そして津波の第一波が押し寄せた。津波はいとも簡単に防潮堤を乗り越え一帯を飲み込み、引き波となり防潮堤を破壊した。
現在この地には新たな防潮堤が築かれているが、この津波によって決壊した防潮堤の一部が、震災遺構として被災当時の姿のままに保存されている。