岩手県譜代村第2地割

2012/04/01取材

黒崎は、古くから海上交通の要所だった。南部藩は、江戸時代初期から海防を重視し、釜石から野辺地までの沿岸随所に遠見船番所を設け外国船を警戒した。

幕末になると、ロシア船などの外国船が頻繁に現れるようになり、大砲を備えた砲台場を領内30ヶ所以上に作りさらに警戒を強化し、安政3年(1856)、この黒崎にも砲台が作られた。

この御台場には土塁をめぐらし、砲台場、火薬庫、詰所を配置して、打ち方と手伝い人6名を常置させていた。明治元年(1868)の戊辰戦争では、列藩同盟に属していた南部藩は、北航してくる西軍艦船を、この台場から狙い打ちしていたという。

現在は大砲に代わり、白亜の黒崎灯台が設置され、沖を行き交う船舶の安全を守り続けている。