福島県西会津町野沢字地蔵

2020/07/20取材

福島県は、戊辰東北戦争の主戦場になった地で、各所に多くの兵士たちの墓が散在している。

この西会津町は、戊辰会津戦争では越後から会津への侵攻路として、東西両軍の兵士たちが戦い、この常樂寺には命を落とした両軍の墓がある。

薩摩や長州藩士の墓のほかに、東軍の戦死者の墓石もあるが、当時、東軍の戦死者は、遺体の埋葬は禁止され、打ち捨てられ、鳥獣に食い散らかされ、腐敗し、やがて朽ち果て、里人らが見かねて葬られたものだけが、今にその消息を伝えている。

その中に、山本定平の名があり、定平はこの野沢出身で、越後戦線へ従軍した農町兵隊員である。

また、越後長岡藩士の岡村半四郎と中田良平の墓があるが、両名は、野沢の大久保街道で西軍と遭遇し捕らえられ、後ろ手に縛られたまま、衆人環視の中、見せしめで斬殺された。白鉢巻に紺がすり、白い袴の若い武士だったという。

二基の墓には両方の名が刻まれている。これは改葬の時、二人の頭部と胴体が離れ、どちらが岡村か中田なのか判明し難かったので一緒に埋葬したものと語られている