福島県西会津町野沢
2020/07/20取材
野沢は、鎌倉時代には地頭として荒井信濃守頼任が館を設けて支配し、戦国時代には葦名氏の勢力下に入った。その後の文亀から大永年間(1501~1527)に、野沢原町出身の6人の有力者により新たな町割が行われた。
江戸時代に入ると、野沢宿は、会津若松と越後の新発田を結ぶ越後街道(会津街道)の宿場町として整備された。野沢宿は、城下町会津若松と、阿賀野川舟運の要衝である津川宿からそれぞれ1日の行程だった事から、村上藩の藩主や新発田藩の藩主は野沢宿に本陣を設けて宿所として利用した。
会津藩も野沢宿を重視し、野沢代官所や郷蔵などを設け、野沢は、この地方の行政、経済の中心地として発展し、越後街道(会津街道)三大宿場に数えられた。