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福島県棚倉町字流

棚倉町の流地内に、義家伝説と、継母いじめ伝説を伝える小さな桜の木がある。本来の木は明治初年に枯れ、2代目も近くを走るJR水郡線の工事の影響で枯れ、現在はこの小さな若い桜の木がその伝説を伝える。

◆義家伝説

前九年の役のとき、源義家はこの地で戦った。義家は駿馬に鞭打ち、東へ西へと奮闘したが、馬が深田に足をとられてしまった。ようやくの思いで抜け出した義家は、「これより先は深田なり、進むべからず」と下知し、その目印として持っていた桜の木の鞭をこの地に突き刺した。

その後、その鞭が根付き花を咲かせるようになったが、鞭を逆さにさしたため花が下向きとなり、「逆さ桜」と呼ばれるようになったと云う。

◆継母いじめ

昔、この近くに一軒の農家があり、貧しいながら夫婦仲は円満で一人娘がおり、仲良く楽しく暮らしていた。ところが、ある年、この村で流行り病が広がり、母親は病の床についてしまった。娘はまだ十歳にもなっていなかったが、父親をよく手伝い、一心に母親の看病をした。しかしその甲斐もなく、母親は帰らぬ人となってしまった。

その後、人の良い父親は、村の人から熱心に勧められ後添えをもらった。娘とこの継母は、初めはうまくいっていたのだが、父親が仕事で留守にすると、この継母は娘をいじめるようになった。

娘は食事も与えられず、暗くなるまで働かされた。遂には目も見えなくなり、それでも折檻され衰弱し死んでしまった。継母は、娘を庭に埋め、桜の枝を逆さにさして目印にした。

仕事から戻った父親は、娘のいないのを不審に思い継母を問い詰めたが、継母は知らぬ存ぜぬの一点張りだった。父親は娘を探しに出かけ、そのまま戻ってこなかった。

桜の枝は根付き、美しい花を咲かせるようになったが、花はなぜか皆下向きに咲いた。父親の留守中に継母が娘を折檻してしていたのを見ていた村人たちは、「娘の怨みがこもって、みんな下向きに咲くんだ」と噂しあった。

この継母は、ある年の桜が散る頃重い病にかかりひどく苦しんだ。そしてついには気が狂ったようになり家を飛び出し、そのまま行方知れずになってしまったと云う。