福島県棚倉町字花園

長久寺は、宝永2年(1705)、駿河田中藩から移封された、太田備中守資晴が宝永4年(1707)に建立した。

棚倉藩は、立花宗茂が1万石で入部し立藩したのが始まりで、その後元和8年(1622)、外様の丹羽長重が常陸古渡から5万石で移封し、幕府の命により棚倉城を築城した。寛永4年(1627)城が完成した同じ年、さらに白河城の築城を命じられ、陸奥白河に加増移封した。

その後は、棚倉には奥羽の外様の押さえとして、譜代の内藤氏が入り、内藤氏が駿河田中藩へ移ると、入れ替わりに太田資晴が入った。資晴は日蓮宗に帰依し、この地に総本山身延山から日亨上人を招き、自身と母親の菩提寺として建立した。

境内には、このとき資晴が移築した棚倉城の城門が山門としてあり、また熱心な日蓮宗だった加藤清正を祀った清正公堂がある。

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