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福島県石川町曲木

2011/09/05取材

  • 曲木薄墨桜
 

この薄墨桜のある石川町の曲木は、和泉式部の生誕の地と伝えられ、多くの伝説を残している。

和泉式部は幼名を玉世姫といい、この地を治めていた眞垣荘司安田兵衛国康の一人娘であるとされる。姫はこの地で13歳までの少女時代を送った。

13歳の時に両親が亡くなり、この地を離れることになった姫は、先祖の墓参りをした。この桜は、祖父を葬ったときに墓の印として植えたものだったが、大きくなっても花を咲かせず、いつも不思議に思っていた。姫は名残を惜しんで次の二首の歌を詠んだ。

なげきには いかなる花も 咲きぬらん 身捨てる事の 思ひしりなば

故郷を 今ぞわかるる 旅ごろも 身の行く末は 何国と那ん

すると、たちまちに青葉の中より、薄墨を流しかけたような花が咲いたと云う。