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福島県鏡石町かげ沼町
建保元年(1213)、信濃源氏の泉親衡らによる北条討伐の謀反が発覚し、関与した者はことごとく捕らえられた。当時の鎌倉は混乱期にあり、二代将軍の頼家は北条氏により暗殺され、実朝が北条氏の後ろ盾により三代将軍についていた。泉親衡らは、源頼家の遺児千寿丸を擁立し、執権北条義時を打倒しようとした。
和田義盛の甥の和田平太胤長もこの企てに加わったため、福島県岩瀬郡に配流され処刑された。夫の身を案じた妻の天留(てる)は、鎌倉よりこの地に到り、里人に夫の死を知らされ、鏡をいだき沼に入水して果てた。その時天留が胸に抱いていた鏡が沼の底で光り輝いていたことから以来この沼は鏡沼と呼ばれるようになったという。
江戸時代元禄期に、松尾芭蕉はこの地近くを通り、の奥の細道に
「かげ沼と云う所を行に、今日は空曇りて物陰うつらず」
とある。
この地は一種の蜃気楼現象が現れ、道行く人が水中を歩くように見えることで有名であったためである。
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