福島県磐梯町磐梯

 

この厩嶽山馬頭観音には、その由緒として次のような伝説が伝えられている。

天平年間(729~49)、聖武天皇の頃、行基は天皇の命をうけて全国をまわり、水利のわるいところには水利の便を、洪水で困っている地方には堤防の築き方や橋のかけ方を教えて歩きまわり、農民たちからは生仏として慕われた。

その行基が、この地にいたり一夜の宿をとった。その夜、行基が床に入り寝入ると、遠くでいななく馬の声がする。行基は不思議に思い、夢の中で山中深く進んで行くと、猿が七頭の馬を曳き走りまわっており、それは飛ぶ鳥が天空を行くようだった。

その中の葦毛の馬には一人の老翁が跨り、翁はむちをあげて行基を招いた。行基が翁に近づくと、翁は、「我は天満の星である。この山に長く住み、六道の中で長く病の馬を治して来た。しかし、この峰つづきの猫魔ヶ嶽に悪霊どもがはびこり、我の修業の邪魔をする。汝、この山を開き、末世の諸願を成就し、六道に迷う者どもを救うべし」と告げ、馬のいななきとともに消えた。

夢からさめた行基は身を清め、一刀三礼しながら馬頭観音の像を刻み、
山頂に一宇を建てて安置し、その山を厩嶽山と名付けたと云う。

この地域の人々は、馬の無病を祈願するために、祭礼の日には列をなして参詣し、また馬の健康にあやかるために、二歳児を背負いお参りした。

また、次のような伝説も伝えられる。

昔、厩嶽山のふもとの村に、一人の貧しい男がいた。男は毎朝厩嶽山に竹を伐りに行き、若松にでかけ売り、その日のくらしとしていた。

ある日の朝、馬をひいて山に登るとじきに白い長い髭を生やした老人に出会った。老人は足をとめ男に「お前が竹を伐っている間、その馬を貸してくれないか」と話しかけてきた。年は八十歳くらいで杖をつきよぼよぼのこの老人が馬をどうするのだろうと不思議に思い 、「この馬をどうするのですか」と聞くと老人はこともなげに、「乗って遊びたいのよ」と言う。
男は、「この馬はご覧の通りの痩せ馬で、乗れるものではないですよ」と言うと、老人は「大丈夫」 と言い馬にひらりと乗り、笹原の上を見事な手綱さばきで、雲か霞のように遠く走っていった。

やがて、男は竹も伐り終わり、貸した馬を待っていると、しばらくして老人が馬に跨り帰って来た。老人は、「今日は大変楽しかった」と言い、お礼にと男に手箱を渡し、「この箱を馬の頭に置くと、どんな暴れ馬でもみなおとなしくなる」と言い、どこへともなく姿を消してしまった。

男がある日若松へと出かけると、若松のお城の近くの馬場で、武士たちが馬乗りの練習をしていたが、あまり上手な乗り手はいなかった。男はつい口がすべって、「旦那様方は、あまり馬乗りが上手ではありませんね」と言ってしまった。

これを聞きとがめた武士が「この百姓め無礼な奴、なにを申すか」と怒ったので、男は「それでは馬一頭をお貸し下さい」というと、武士はこれまで誰も乗れなかった一番の暴れ馬を曳いてきた。

男はひらりと馬に跨り、馬場を縦横に駆け回った。あげくに五寸ほどの柱を立て並べ、その上を自由自在に乗り廻し乗り返した。武士達はその妙技にみとれて声を出す者もなかった。この事が世間の評判となり、男は藩主に召抱えられ、馬術の指南役 になったと云う。

その後、男に手箱を与えた老人は、厩嶽山の馬頭観音の化身だったと伝えられた。

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