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福島県白河市豊地

震災前取材

  • 国道294号線
 

会津街道は、奥州街道白河から会津に至る脇街道で、天文14年(1545)、葦名氏によって勢至堂峠が開かれ、天正18年(1590)には、奥州仕置のために会津に行く豊臣秀吉の命により、伊達政宗が白河から会津まで、三間幅の道路として整備した。

寛永4年(1627)、会津領主となった加藤嘉明は、険阻な道を避け、滝沢峠を開き、二代目明成は、急な坂道に平石を敷いて街道を整備した。刎石坂には現在も石畳が残っている。

峠の頂上付近には、大きな「刎石」と呼ばれる石があり、かつてこの地に刎石駿河守の館があったとされる。また、源義経が蹴り刎ねた石であることから名づけられたとも伝えられる。

会津街道は、江戸時代を通じて、越後の新発田藩や会津藩の参勤交代や、佐渡金山の金の輸送、そして多くの物資の輸送に使われた重要な街道だった。