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福島県白河市表郷中野
震災前取材
和泉式部は、平安時代中期、紫式部、清少納言と並び称される歌人だった。この地はその和泉式部の庵跡と伝えられる。
「和泉式部歌集」には1540首が収蔵され、「拾遺和歌集」はじめ、勅選集には247首ほどが載っている。特に恋愛歌においては、多くの名作を残している。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
式部は、石川郡を治めていた安田兵衛国康長者の一人娘として生れ、幼名は玉世姫とされる。玉世は成長するにつれ美しく、そして才長けた娘に成長し、十三歳のとき京に上り勉学に励みその才をあらわした。式部の詠んだ歌が、阿波の鳴門の鳴動を静めたとされ、この功績により、内裏への昇殿を許され、歌所の頭人となったと伝えられる。
長久2年(1041)、父国康の病が重いことを知り、離洛しこの地まで来たが、当時この地に争乱が起き、この地を抜けることができなくなった。式部はやむを得ずこの地に草庵を結び、しばしの住まいとしたと云う。傍らには、「化粧の井」と呼ばれる古井戸もある。