郡山市西田町鬼生田

2014/03/16取材

 

かつてこの地一帯は、田村清顕の家臣の木村信常が治めていた。しかし信常は二本の畠山氏に寝返り、畠山勢を城に引き入れ、田村氏を攻撃する計略をめぐらした。

しかしこれは田村清顕の知るところとなり、清顕は激怒し、信常の城を攻めた。その攻撃は凄じく、一族は悉く殺され、鶴姫を始めとした妻子はとらえられ、この淵に沈められた。

鶴姫は、この川の主となって仇をなすであろうと怨みを残して沈められた。その怨みのためか、鶴姫の遺骸は、7日間、下流に浮き上がり流れもせず同じ所に止まっていた。また大雨で阿武隈川の水があふれ、この地の人々を大いに困らせた。

人々は、鶴姫をはじめとする木村一族の怨みだろうと恐れ、廣度寺の梵鐘を淵に沈め、懇ろに大供養を行った。その時大きな緋鯉が天に昇ったと伝えられる。

この鶴姫が沈められた淵を鶴子淵、下流の遺骸が漂った淵を七日淵と、今も鶴子姫の伝説とともに呼ばれている。