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福島県川内村大字上川内字早渡

 

現在のいわき市出身の「蛙の詩人」草野心平は、この川内村の人々と豊かな自然に心を打たれ、毎年のようにこのを訪れていた。川内村は、そんな草野心平を昭和35年(1960)、名誉村民とし、その褒賞として、毎年木炭100俵を贈っていた。

草野心平は、そのお礼にと、蔵書3000冊を村に寄贈した。村ではこれを機に、文庫建設の話が持ち上がり、村民が一木一草を持ち寄り、村を挙げての労働奉仕でこの天山文庫が建てられた。

建物は、美しい付近のロケーションに溶け込む木造真壁造りで茅葺き屋根。玄関の「天山」の扁額は、故川端康成の書、彫刻は後藤桂仙師。襖の帯は、明治中期頃の紺絣、自在かぎは白夜院の伝統もの、扉や腰板の太鼓鋲は信州松本城でも使用している手打鋲が打ちこまれ、池は「月の十三夜」に似せて築かれ、当時の文化の粋を集めている。昭和41年(1966)7月落成した。

天山南北は絹の道で東西文明の交った道であり、東洋と西洋の交流が中国天山山脈の北路と南路を通じて行われたことから、みちのくの文化交流の接点であれとの願をこめ、天山文庫と名付けられた。

文庫の設立にあたっては、井上靖、金子光晴、唐木順三、河上徹太郎、川端康成、小林勇、高村豊周、武田泰淳、谷川徹三、中野重治、西脇順三郎、吉田晁、松方三郎、武者小路実篤、村野四郎、山本健吉の諸氏が天山文庫設立協力委員会発起人となった。