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福島県川内村字上川内字窪

 

この地には、永亨年間(1429~40)、遠藤親政という豪族が居館していたと伝えられる。山頂の主郭には、三重の空堀が巡らされ、北側の一段下った尾根には北出丸が配されていた。西方には深い三重の堀があり、南側はきり立った深い谷となっている。

遠藤氏は、信州松本から移住したと伝えられ、諏訪神社は信州の諏訪大社を勧請したものと云う。

この地は、楢葉氏の支配下にあったが、楢葉氏は岩城氏に攻められ滅亡し、この地には岩城氏家臣の猪狩氏が入った。岩城氏はこの地の諸城を整備し、田村氏、相馬氏への備えとした。

遠藤氏は、楢葉氏や岩城氏とは争わず、この地で独自の勢力を持っていたようで、遠藤親政は慶長元年(1596)、長福寺を開基している。

岩城氏は、関ヶ原の戦いで西軍に就いた為に領地を没収され、遠藤氏一族の多くは、この地で帰農したと考えられる。