2012/07/05取材

福島県会津若松市七日町

 

この地には、幕末から大正にかけて、木造3階建ての、純日本風旅館の清水屋があった。

吉田松陰は、嘉永5年(1852)、22歳の時に東北各藩を歴訪する大旅行をしており、中でも会津藩の藩校日新館には、特に強い関心を示し、二度にわたって訪れ見聞を広めた。松陰の「東北遊日記」に記された七日町の宿がこの清水屋だった。

その16年後に戊辰戦争が起こり、新選組の土方歳三は会津藩とともに幕府方として戦い、宇都宮城の攻防で足を負傷し、会津田島を経てこの清水屋に運び込まれ治療を受けた。土方はその後、函館五稜郭まで転戦し、西軍と戦い抜き戦死した。

明治15年(1882)、同志社大学の創始者新島襄が、会津出身の八重を伴い、初めて会津を訪れた。八重の兄山本覚馬の娘の峰夫婦も同行し、このとき八重と峰にとっては約10年ぶりの故郷訪問で、約1か月間、清水屋旅館に逗留したといわれている。

清水屋旅館は、幕末からの会津の歴史を見つめ続け、昭和初年(1926)に惜しまれながら取り壊された。