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福島県小野町小戸神字日向

震災前取材

 

満福寺は、東堂山の中腹にある。坂上田村麻呂が東征の際に、大滝根山に籠った大多鬼丸と戦い利なく敗れた。田村麻呂は、一旦この山に退き、観世音菩薩に祈願をかけ、その霊験により蝦夷を討滅することができた。

田村麻呂は、この観世音に感謝し、戦没の人馬を供養するために、大同2年(807)、徳一大師を派してこの山を開かせたと云う。その後、宗派も定まらず、山岳宗教の修験道場となったようだが、次第に荒廃した。しかしその後、元亀元年(1580)に浄土宗の寺として良拾上人によって中興された。

満福寺の建築物で特筆すべきものに、仁王門と仁王像があり、宝暦6年(1756)に建立され、また毘沙門堂は寛政9年(1797)に再建され、近世木造建築の枠を集めた巨岩の上の鐘楼堂は、万延2年(1861)に建立されたもの。

山中は、推定樹齢550年の老杉並木の参道、苔むす大石垣、巨岩上にそびえる鐘楼、秀麗な堂宇のある境内など、その姿は四季を通じて幽玄な雰囲気をたたえている。 また、昭和60年頃から、観音堂の脇に羅漢像が奉安され始め、現在420体以上の様々な表情をした個性あふれる羅漢様を見ることができる。