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福島県会津若松市東山町湯本

 

東山温泉は、天平年間(729~49)に三本足の烏に導かれた行基によって発見されたと伝えられる。江戸時代には会津藩の湯治場として栄え、会津民謡に登場する小原庄助ゆかりの温泉とされる。現在も会津若松の奥座敷として賑わっている。

慶応4年(1868)3月、下総流山で近藤勇と別れた土方歳三は、生き残りの新選組隊士を率い、宇都宮での合戦に参加し足を負傷した。その後会津に向かい4月下旬に若松城下へ到着した。若松で医師の治療を受けるが、足の傷は思いのほか深く、医師に勧められこの温泉で療養につとめることになった。

さらに、土方は治癒後はリハビリのためにこの地の湯川で泳いだという。8月に戦線へ復帰、すぐに新選組へ合流して薩長軍と交戦、援軍を求めて米沢、庄内へ向かい、やがて函館へと落ち延びていった。

竹久夢二や与謝野晶子もこの地を幾度か訪れている。与謝野晶子は、明治44年(1911)と昭和11年(1936)の二度訪れ、歌碑が建てられている。
湯の川の 第一橋を わがこゆる
秋の夕の ひがし山かな

竹久夢二は、明治44年(1911)、大正10年(1921)、昭和5年(1930)の三度会津を訪れ、多くの画や詩を残している。特に大川端の月見草から詩想を得た「宵待草」は有名である。東山温泉は大のお気に入りで、その都度来ていたと思われ、「とんぼ」という名の芸妓をモデルとした絵も残し、「宵待草」の碑が建てられている。