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福島県会津若松市東山町湯本字村東

 

尼渕には、次のような千穂姫の伝説が伝えられる。

昔、会津の地を葦名直盛が治めていところ、葦名氏の重臣大町左京盛胤には、千穂姫という大変美しい娘がいた。千穂姫には、直盛に仕える小姓の簗田衛門という許婚がいた。千穂姫の美しさは家中でも評判で、それはいつしか直盛も伝え聞くようになった。

直盛は、姫にはすでに言い交わした者がいるのを知りながら、父の盛胤に千穂姫を輿入れさせるようにせまった。千穂姫はもちろんそれを受けることはなく、盛胤も困り果てながらも拒み続けた。

ある時、父が長く留守をしていた時に、直盛直々に城へ上がるようにとの命があった。命に逆らうこともできず、思い悩んだ千穂姫は、自害することを決意し、湯川で身を清め、湯上羽黒山三社権現の奥の院に21日間参篭した。そしてその後、この湯川の渕に身を投げた。

すると、軍茶利、妙見、観音の三尊が現われ、姫は救い上げられ、それを見ていた東光寺の行智上人に仏門に入ることを勧められた。千穂姫はこの世との一切の縁を断ち、上人の弟子となり仏門に入り「智尚尼」と称したと云う。

この渕は、いつからか「尼渕」と呼ばれるようになった。