福島県川俣町寺久保

 

現在の川俣町を中心とする小手郷は、江戸時代初期は米沢上杉藩の領地だった。しかし、寛文4年(1664)、米沢藩三代藩主上杉綱勝が嗣子を定めないまま急死し、その結果米沢藩は30万石から15万石に減封され、この地は米沢上杉藩の支配を離れ幕領となり代官所が置かれた。

川俣は、古来交通の要衝であり、また古くから絹織物が盛んで、それは幕府にとっての重要な財源だった。川俣の代官支配は戊辰戦争により慶應4年(1866)7月、新政府軍が三春方面から進出したことで、代官所役人や兵は米沢へ退去し、166年間の代官所によるこの地の支配は終わった。

この間、4人の予り代官を加え40人の代官がこの地を治めたが、10年以上の代官3人を除くと平均4年の短期間であった。代官の統治は、藩政治とは異なり、年貢微収官としての性格が優先したことから、役人の貢租の増微政策や成績主義などから一揆などが起ることも少なくなく、中でも享保14年(1729)に起った享保一揆は有名で、これは代官岡田庄太夫の暴政に対するものであった。

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