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福島県いわき市平沼ノ内字代ノ下

 

賢沼(かしこぬま)は、面積148㌃ほどの沼で、沼のほとりに弁天堂がある。

この弁天堂の浮身堂から餌をもらう鯉にまじって、時折ウナギがあらわれる。この沼は代々の領主により保護され、殺生禁断の地となっているため、鯉とウナギが群生し、古くから巨大ウナギの生息地として知られている。

ウナギは、必要酸素の5分の3を皮膚から吸収し、小さな流れでもよくのぼる能力があることから、弁天川を遡上して沼に入り、保護されたまま巨大化して生息していると考えられる。

 

この沼には下記のような伝説が残っている。

・殺生禁断の沼

この沼には沢山のカモが住んでいた。あるとき、一人の猟師が、この沼で遊んでいるカモを鉄砲で撃った。弾は見事にカモに命中したのだが、どうしても岸辺に引き寄せられない。そこで猟師は、泳いでとってこようと沼に飛び込んだ。ところが、いくら手足を動かして泳ごうとしても、水が体にベタベタと粘りつくようで、うまく泳ぐことができなかった。

漁師は恐れおののき、必死に手足を動かし、ようやく岸に這い上がることができた。このことがあってから、誰言うともなく、沼の生き物をとると沼の主のたたりがあるという噂が広がり、それ以来、カモはもちろん、魚を取るものもいなくなったと云う。

・白蛇になったお坊さん

昔、今のいわき市平の龍門寺に、一人のお坊さんがいた。このお坊さんは、苦しい修行を積んできた大変徳の高いお坊さんで、どんなに悪いことをした人でも、自然に頭の下がるようなお坊さんだった。

しかし、このお坊さんにもたった一つ悪いところがあった。それは、このお坊さんは碁を打つことが大好きで、碁を始めると夢中になり、仕事や修行を忘れてしまうことだった。

この寺の近所に善七さんという人がいた。この人も大変碁が好きだったので、暇さえあれば寺にやってきて、このお坊さんを相手に碁を打つことを楽しみにしていた。そして、二人とも中々の腕前だったので、碁の勝負がつくまでには長い時間がかかった。お坊さんは、「これではいけない。こんなに碁に夢中になっては仏道の妨げになる。明日からはやめよう」と思うのだったが、善七さんが尋ねてくると、つい碁盤を持ち出してしまうのだった。

ある寒い日のこと、その日は雪が降っていた。お坊さんは、雪見がてら尋ねてきた善七さんと、いつものように碁を打ち始めた。ところがこの日はお坊さんは一回も勝てない。負けが続くので、今度こそはとまた始めるのだがやっぱり勝てない。そうしているうちに夜中の十二時を過ぎてしまった。善七さんは、気を良くしながら、「今日は、本当によい雪見だったわい。よい気持ちだのう」と、言いながら帰っていった。これを見送るお坊さんは、善七さんに対する悔しさでいっぱいになり、憎らしく思いもした。

次の朝、お坊さんはまだ暗いうちに目を覚ました。夕べは、床に入ってもなかなか寝付かれず、おきても頭の中は霞がかかったようにぼんやりとしていた。しかし、いつものように本堂に入り、冷たい座布団にきちんと座って仏様の顔を見つめていると、身も心もすっきりしてくるのだった。そしてそのうち、「ああ、夕べは悪かった。碁で負けたからといって善七さんを憎むなんて」と反省し、いつもより声高く読経を繰り返した。

お坊さんはお祈りが済むと、水を汲むために寺の外の古い井戸のところに来た。外は明るくなったばかりで、風は冷たく、雪はやんでいたが、井戸の周りはカチカチに凍り付いていた。水を汲もうとしたお坊さんが、つるべの縄をつかんだままふと頭を上げると、昨夜の善七さんの足跡が、雪の表面にまだくっきりとついているのが目に入った。それを見つめている内に、うれしそうに帰っていった善七さんの姿が浮かび、昨夜の悔しさがムラムラと心の中に湧き上がってきた。そして、「よし、今日はこちらから出かけて行って、善七さんを負かしてやろう」と思い、握っている縄に力を入れて引こうとした瞬間、足を滑らせたお坊さんは、深い深い井戸に落ち込んでしまった。

お坊さんは気が付くと、自分の体が狭いところから広いところにはじき出されたような気がした。水は温かく、あたりも明るくて広々としていた。不思議なことに、自分の周りには大きなウナギやコイが盛んに泳ぎまわっていた。「自分は確かに井戸に落ちたはずだったのだが、ここはどこなのだろう」と辺りを見渡した。

すると、一瞬目もくらむほどの光が差したかと思うと、目の前に美しい弁天様が立っていた。弁天様はお坊さんを見つめ、しだいに悲しそうなお顔になり、「お前は、人を憎むという悪い心が起きたから井戸に落ちたのです。しかし、生前の徳によって、お前の体を白蛇にかえこの沼にすむようにしてやったのです」と言った。自分の体をみると、なるほど自分は蛇になっていた。

その後お坊さんは、白蛇の姿のまま弁天様に仕えながら、龍門寺の井戸と賢沼の間を行ったりきたりしているのだと伝えられている。