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秋田県湯沢市桑崎字平城…桐善寺境内

震災前取材

 

小野小町は平安時代の歌人の1人で、六歌仙、三十六歌仙の1人に数えられている。また容姿端麗で、日本の美人の代表的な存在である。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

小野小町伝説は、全国いたるところにあり、特に地名が「小野」の地に多く残る。この湯沢市小野の地は、小町の生誕、及び終焉の地とされ、周辺には多くの小野小町の伝承や伝説の地が密集している。

この地の供養塔は、かつてこの桐善寺の近くにあったとされる、深草少将の仮住まいの長鮮寺境内にあったものををこの地に移したもの。

深草少将は、郡代職を願い出て都から小野の里へと下った。少将は恋文を小町に送ったが、このとき小町は疱瘡を患っており少将に会おうとはせず、「私を心から慕ってくださるなら、高土手に毎日一株づつ芍薬(しゃくやく)を植え、それが百株になりましたら、あなたの御心にそいましょう」と伝えた。

少将は一日も欠かすことなく九十九本の芍薬を植え続け、いよいよ百日目、その日は秋雨が降り続いたあとで川は増水しており、無情にも百本目の芍薬を持った少将は川に流され亡くなってしまった。

小町は深い悲しみに暮れ、少将を手厚く葬り、植えられた芍薬には99首の歌を捧げ、その後は世を捨て、少将を供養しながら岩屋堂に住んだと云う。

この深草少将とこの「百夜通い」は、室町時代に世阿弥ら能作者が創作したものともされ、同様の伝説が、京都伏見区欣浄寺付近にも伝えられている。