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宮城県大崎市古川小野西館…梅香院
震災前取材
この地は、かつての大崎五御所の内の一つの小野御所の内館の西隅にあたる。
小野御所には、大崎十代の大崎高兼が居住していた。高兼には絶世の美女と言われた梅香(ばいこう)姫という姫がいた。梅香姫が十五歳の時に、伊達稙宗の十一歳の次子の小僧丸を養子に迎え、小野城に住んだ。
しかし、大崎家中には、反伊達の者も多く、名生の大崎義直と大崎義宣(小僧丸)は対立するようになった。天文18年(1549)8月、この地を台風が襲い、梅香姫は倒れた家屋の下敷となり落命した。義宣(小僧丸)はこれまでのいきさつから、これは台風に乗じた義直派の者の陰謀と疑い、桃生郡辻堂(現石巻市辻堂)に逃げたが、大崎義直の追っ手に襲われ殺害された。
梅香院に伝わる話では、梅香姫は、天文17年(1548)3月の地震で死亡したとある。
なお、大崎氏の家系では、
- 10代大崎高兼→11代義直→12代義宣→13代義隆
- 10代大崎高兼→11代義直→12代義隆
とする二つの説があり、このことが大崎家中の義直と義宣の対立を表しているのだろう。