スポンサーリンク
磐司、磐三郎にまつわる伝説は、秋保の二口山塊と山寺を最大の舞台として、古くから語り継がれている。その伝説は、栃木県より以北の奥羽山脈沿いに、また秋田県や岩手県の山村集落にもさまざまに伝えられている。共通しているのは、古代東北の山岳民族の英雄として、或いは山神として語り継がれている。
この地には、次のように伝えられる。
その昔、この地を二人の女が通りかかった。一人は若い姫君で、もう一人はその乳母だった。二人は、渓流の水で喉をうるおし休息をしていたが、突然姫が腹痛を訴え苦しみ始めた。乳母はやむを得ず姫を残したまま、薬を求めて来た道を引き返し人里へ向かった。姫は動くことも出来ず苦しんでいたが、ふと見ると巨大な猿のような怪人が姫の方を見ていた。姫は殺されるものと思い、苦しさに気を失ってしまった。
しばらくして乳母が戻ると、姫の姿はなく、呼べど叫べど姫は現れなかった。乳母は、姫は苦しさのあまり渓流に身を投げたのか、あるいは山の獣に襲われてしまったのか、心を乱した乳母は、そのままフラフラと、近くの滝に身を投げてしまった。
気を失った姫は、どれ位意識がなかったのか、目をさますとそこは木の葉を敷いた洞窟の中だった。不思議なことに腹痛はすっかり癒えていた。あたりを見回すとあの怪人が近ずいてきた。その怪人は、全身を白銀で被われた大猿のようだった。危害を加える様子はなく、大きな手に木の実を盛って食べろと差し出した。
それ以降、姫は多くの猿たちにかしずかれ、白銀の大猿のような怪人との奇妙な生活が始まり、やがて二人の間に、磐次郎、磐三郎が生まれた。磐次郎、磐三郎は、屈強な若者に育ち、山野渓谷を身軽に飛歩き、この地を通る旅人を襲い、時には人里に下りて乱暴狼藉を働き恐れられた。
あるとき仏教を広めるために奥羽を行脚していた慈覚大師は、名取川を遡り、秋保大滝の壮観と森厳さに心を打たれ、暫し足を留めて不動尊を安置した。そしてさらに深山へと分け入り、この地へ来たとき、突然木陰から磐次郎と磐三郎が現れ道をふさいだ。磐次郎と磐三郎は、慈覚大師を山刀で脅し身ぐるみはいでしまった。
しかし大師は穏やかな笑みを浮かべて「お前たちは、すべて盗ったつもりだろうが、何よりも高価な物を盗れないでいるのをわからないだろう」と問いかけた。磐次郎と磐三郎は、大師がいう「高価な物」が何なのか、とんと分からなかった。大師は裸にされながら泰然として動じる様子はまったくなかった。磐次郎と磐三郎兄弟は、それが何なのか気になって仕方がなかった。
兄弟が教えてくれと頼むと大師は「お前たちは、わしの心ばかりは盗れていない。他人の心を盗るには、常々善い行いをしなければ盗れるものではないし、それは最も難しく、最も尊い事なのだ」と諭した。兄弟はそれまで、食べたいときには食べ、寝たい時には寝、欲しいものは構わず奪った。しかし確かに、里人らの兄弟を見る目は冷たかった。
兄弟は心を入れ替え、大師に教えを乞い、その後、兄弟の縄張りであった今の山寺へ案内し、慈覚大師が山寺を開くのに協力を惜しまなかったと云う。