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宮城県蔵王町遠刈田温泉字遠刈田北山

蔵王町遠刈田温泉の西側にこの岩崎山は位置する。この岩崎山の金山は、金売り吉次が発見したとも伝えられている。

関ヶ原の合戦の後、伊達政宗は仙台城の建設にとりかかった。政宗はこの資金をまかなうために、蔵王の山の神に願をかけて、岩崎山で金の採掘を始めた。政宗の願いが通じたのか、金山は巨万の黄金を産し、その質も大変上質だった。政宗は喜び、この金を慶長金と名付けた。

しかしその歴史は長くは続かず、江戸時代の中期には廃坑になった。その理由は定かではないが、坑内で大量の出水があったためとも伝えられている。坑内に祀られている三十三観音は、このときの事故の犠牲者を供養するためのものと云われている。

当時の採掘法は、金の鉱脈をたどって地下を縦横に掘り進む、狸掘りと呼ばれる方法で、細い坑道が無数に交差している。そのさまは篭の編み目のようであることから、岩崎山は篭山とも呼ばれている。 体がやっと入るほどの狭い坑道はすべて手掘りであり、当時の鉱夫たちの苦労を物語っている。