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宮城県岩沼市南長谷字柳

  むかし、京都に百合若大臣と呼ばれるいう若者がいた 。あるとき無実の罪を得て奥州に流されてしまった。百合若には美しい妻がおり、百合若はこの妻のことを思い出しながら奥州で暮らしていたが、ある日、百合若が可愛がっていた鷹が、妻の手紙とともに筆と硯を百合若の元に運んできた。 百合若は大層喜び、妻との手紙のやり取りを始めた。しかし幾度かの手紙のやり取りを行った後に、鷹は力尽きて死んでしまった。百合若はこれを悲しみ、この鷹と、鷹の持ってきた硯を埋めて塚を立て、鷹をねんごろに葬った。その地がこの鷹硯寺だという。百合若大臣はその後許され、京に帰るときに、手紙の入った箱を埋めたが、その地が名取の箱塚だと伝えられる。 この百合若伝説は、日本八大伝説の一つで、室町時代に幸若舞として脚色された。このようなこともあり、全国に広まったのかもしれない。 名取に伝わるこの話しとほぼ同様の話しが、九州福岡の玄海島の小鷹神社にまつわる話しとしても伝えられている。