宮城県仙台市太白区四郎丸字落合

 

この観音堂は、太白区四郎丸落合に、寛永4年(1627)に、伊達政宗の命により、家臣の佐々若狭により建てられた。安置されている本尊の観音像は、慈覚大師が一本の木から三体の観音像を作ったその一体で、中木観音(十一面観音)とも呼ばれ、むかしは袋原にあったと伝えられる。

伊達政宗が袋原で鷹狩りをした際に願いごとをし、それがかなえられたことから、翌年、郡山にあった毘沙門堂を解体し広瀬川を流して落合まで運び、現在の堂宇を建て、袋原の観音像をここに移したと伝えられている。三間四方の素木造、廻縁を巡らし、屋根は入母屋造茅葺で、江戸時代初期の雄渾さと素朴さを残している。

この観音堂には、蟹にまつわる次のような伝説が伝えられている。

昔、この観音堂のそばを流れる名取川が洪水のため氾濫し、観音堂に安置されている十一面観音像があわや流されようとした時、名取川に棲む無数の蟹が観音像を守り流されるのを防いだ。それ以来、村の人々は蟹を食べず、絵馬に蟹を描いて奉納するようになったと云う。

観音堂にはこの蟹の絵馬や、宇治川先陣図絵馬など貴重な絵馬が残されている。

 

・中村景貞乗馬図絵馬

桜の花の下を栗毛の馬に乗り駆ける袴姿の武士を描いています。馬上の武士は中村景貞と推定され、数少ない肖像絵馬として注目される。景貞は仙台藩七代藩主伊達重村の代に28才で奉行となり、重村以下五代26年にわたり奉行職をつとめ、幾多の難局を打開した功臣として知られている。

ある日、景貞が閖上海岸で馬を走らせていたとき、雷をともなう大雨に遭遇した。その時、馬の蹄に落雷したため馬は驚き景貞は落馬したがどこにも怪我をしなかった。これは景貞が日ごろ観音様を信仰したおかげと絵師に描かせたものと伝える。

 

・曳馬図絵馬

烏帽子に直垂姿の二人の馭者が黒駒の手綱をとって従うところを画面一杯に力強く描いた典型的な曳馬の図。大絵馬としては市内最古のもの。

 

・宇治川先陣図絵馬

「平家物語」の宇治川先陣に題材をとった絵馬。宇治川の合戦で、源頼朝から与えられた名馬「磨墨」に乗る梶原景季が、佐々木高綱に腹帯が伸びているといわれ、解いてしめている間に、名馬「池月」に乗った高綱が一足先に宇治川に打ち入ったところを描いている。元禄年間の作。

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